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蒼空へのプレゼント
先日の蒼空の誕生日を迎えるにあたって、いろいろとプレゼントを用意していました。
今日はそれを紹介したいと思います。

まずはおもちゃ。
木の電車のおもちゃをあげようとずっと思っていて、いろいろ探しに行ってやっとかわいいものを見つけました。

d3.jpg


ネームトレインと言って、自分で好きな文字を選ぶことができます。
色もたくさんあったので、バランスがいいように元気な色にしました。

蒼空の思い出箱は以前買ったものですが、写真を入れる部分があって何をいれようかずっと迷っていました。
最近クロスステッチをすることがあったので、ちょうどいい図案を探して電車のステッチにしてみました。
e3.jpg

a3.jpg


箱の中にはへその緒や安産のお守り、エコー写真のアルバムなどが入っています。

そしてこれもずっと蒼空のために作ろうと思ってなかなか取り掛かることができなかったもの、バースサンプラーです。
バースサンプラーとは、赤ちゃんの名前と誕生日、体重などを入れたクロスステッチです。
c3.jpg


図案は星のボタンのところが普通のボタンで、一番下のステッチも"Cute as a button"となっていましたが、"ボタンのようにかわいい"では意味がよく分からなかったので、星のボタンにして"Cute as a Star"にしました。

今までしようと思っていてもなかなかできなかったことが、1年かかってやっとできてよかったです。

蒼空、喜んでくれているかなぁ。。。
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【 2007/08/30 00:24 】

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22週2日
1年前の8月15日、私は蒼空をお空に還しました。
蒼空の命はは22週2日という短いものでした。
今新しい命を宿している私、お腹の中の赤ちゃんは昨日22週2日を迎え、そして越えました。

22週2日を迎える前日の夜、私はいろいろと考えていました。
現在妊娠している私にとって、8月15日という日付よりも22週2日という週数の方がはるかに大きい存在です。
お腹の中で元気に動いている赤ちゃん、蒼空のときもそうだった。
胎動もしっかりと感じている中、明日には蒼空とお別れしなければならない・・・1年前の22週2日の前日、私はどんな想いでいたのだろう。。。
考えても考えてもやっぱりその日の気持ちには戻れませんでした。
というか、やっぱり本心は考えられない、考えたくないという気持ちでした。
お腹の中で元気に生きている赤ちゃんの命をどうして絶ってしまうことができたんだろう、なんてひどいことをしたんだろう、やっぱりその想いは消すことはできません。
でも今同じ週数になってみて、1年前のあの日はきっと今の私が考えたくないくらい辛く悲しい日だったのだろうなぁと思えます。
そんな風に冷静に思えるのは、今の私が蒼空を亡くした深い悲しみ、苦しみを少しでも乗り越えられたからではないかな、と思います。
うまく言葉にできませんが。。。

22週2日を越えた今、そしてこれからは私にとって未知の世界。
元気な赤ちゃんに会えるまでは不安は尽きませんが、蒼空に見守られながらがんばろうと思います。

【 2007/08/22 00:28 】

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8月15日 蒼空の誕生日
8月15日は蒼空の誕生日でした。
本当なら命日なのですが、私は命日とは言いたくありません。
産声もあげることなくこの世に誕生したけれど、私にとっては8月15日は蒼空の誕生日なのです。

当日はプレゼントに木の電車のおもちゃ、ケーキと風船、お花を飾ってささやかにお祝いをしました。
おめでとうとごめんねの気持ちを込めて。。。
蒼空は喜んでくれているかな。。。
b3.jpg


あれから1年、私はいろいろな想いの中で過ごしてきました。
蒼空とお別れしてから半年は本当に辛くて、自分でも気持ちをコントロールできなくなったりしたことも何度もありました。
それでも主人に支えられ、家族や友人に励まされてなんとかすごしているうちに、少しずつ新しい命を望むようになりました。
そして新しい命はやってきてくれました。
蒼空に申し訳ない気持ち、授けてくれてありがとうという気持ち、正直複雑な想いの中今まで過ごしてきました。
そして蒼空の誕生日。
1年前蒼空の命を私が絶ってしまったことを申し訳なく思う気持ちは今もありますが、今は1年間見守ってくれてありがとう、赤ちゃんを授けてくれてありがとう、人の優しさを教えてくれてありがとう、たくさんの「ありがとう」に変わりました。
蒼空が見守ってくれていると思うと心強い気さえします。

これからも空から見守ってくれている蒼空、私の心の中にいる蒼空とともに生きて行こうと思います。

蒼空、お誕生日おめでとう。
【 2007/08/21 23:49 】

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蒼空とお別れするまで?病気が分かって?
8月10日 21w4d
6ヶ月の健診は「性別が分かるね、どっちかなぁ」と楽しみにしながら主人と二人で行きました。
でも、性別どころの話ではなくなってしまいました。

健診は、エコー専門の技師さんにまず診てもらいました。
そしてあまり説明もないまま淡々とした様子で、「では先生に診てもらいましょう」と言われ、
ロビーで待たされました。
その間、先生はどこかに電話をしていて、私たちは30分近く何の説明もないまま待たされました。
アメリカでは待たされることはよくあることなので、「早くしてほしいなぁ」くらいにしか思っていなくて、主人と二人でイライラしていました。
そして、やっと先生に呼ばれて蒼空のことについて話がありました。
技師さんが撮ったエコーの写真を見ながら、「頭の大きさが測れない」「恐らく頭の発達に問題が
あるでしょう」と言われました。
そして、「詳しくエコーをしてくれる病院に予約を入れたので今から行って下さい」と言われました。
待たされている間先生が電話していたのは、その病院だったことがその時分かりました。
紹介された病院までの車中では、まだ事の重大さに気付いていなくて、「赤ちゃんが動きすぎて
頭の大きさが測れないだけかも」「でも、もしかしたら障害がある子が生まれるのかも」と
思っていました。
まさか、生きることさえできないなんて、少しも思っていませんでした。

紹介された病院でエコーをしてもらいました。
先生から「脳に深刻な問題があるので、生まれても生きることはできないでしょう」
「頭蓋骨に穴が開いていて、そこから脳の組織が出ているので、正常な脳ではありません」
と言われました。
あまりのショックに言葉が出ませんでした。
一生懸命英語の説明を理解しようとしていて、涙も出ませんでした。
生きられる可能性はないのか尋ねると、「もし生きられたとしても短命で、精神にも肉体にも重度の障害が残る」と言われましたが、先生の口調から可能性はとても低いことが分かりました。
そして、二つの選択肢があることを聞きました。
予定日まで待つか、今出産するか・・・。
私の中では「今出産する」という選択肢はなくて、というか人工死産というもの自体を知らなかった
ので、とてもショックを受けました。
でも、「そっか、普通には産めないんだ、赤ちゃんは死んじゃうんだ・・・」と冷静に思いました。

先生に障害の程度、具体的にはどういう障害があるのか、など質問をしても、
「生きられる可能性は低い、もし生きられても歩くことも話すこともできない」と言われました。
何を質問しても、いつも"severe problem"(深刻な問題)と言われました。
その口調は淡々として冷たくて、本当に悲しかったです。
そして、その口調から暗に「今出産すること」を勧められているような気がしました。

私は冷静にいろいろなことを考えていました。
 予定日に産んでも死んでしまう
 もし生きていても管だらけにされて、きっと病院から出ることなく死んでしまうんだろう
 そんな人生で赤ちゃんは幸せなのだろうか
 そこまでして赤ちゃんは生きたいのだろうか
 でも今は元気に動いているのにね、生きているのにね
 私が赤ちゃんの命を絶ってしまってもいいのだろうか
と赤ちゃんのことを想いながらも、
 今回は諦めよう
 もし生きていても、管だらけでやっと生きている赤ちゃんを見ていく自信がない
 生まれてから死を看取るのはあまりにも悲しくて、辛過ぎる
 それなら今悲しむ方がましなのかな
 早く次の赤ちゃんが欲しい
 予定日まで待っていたら、次の赤ちゃんを授かるのに時間がかかる 
なんて自分勝手なことも考えていました。
まだお腹に赤ちゃんがいるのに、次の赤ちゃんが早く欲しいだなんて、本当に最低だと思います。
ごめんね、蒼空、最低なママで・・・。

その後、日本人の通訳を呼んでくれて、別室で先生と看護士さんから説明がありました。
もう一度赤ちゃんの病気の説明を日本語で聞いて、赤ちゃんの病気が確実なものになりました。
日本人の通訳さんは優しいおばあさんで、私のために泣いてくれました。
私はこんな辛い通訳をさせてしまって申し訳なく思ったのと、泣いてもいいんだと思って、
初めて涙が出ました。
看護士さんも優しくて「泣いてもいいよ、辛いよね」と言ってくれました。
そして何度も"I'm sorry."と言いました。
私は最初謝られているのかと思って、看護士さんが悪いわけではないので"no"と答えていましたが、後で「かわいそうに」という意味で言ったのだと気付きました。
救われたのは優しい看護士さん、通訳さんと、「出産」という言葉でした。
「人工死産」「中絶」「諦める」などという言葉ではなく、「出産」(英語で"deliver")という言葉が
使われたので、赤ちゃんが人として扱われている気がしてうれしかったです。
でも、反対に先生が何度も言った"severe problem"という言葉、先生の口調は
頭に焼き付いて、忘れることはできません。

長い一日でした。
この時の健診は、主人が出張の予定だったので一人で行くつもりでした。
でも、急遽出張の予定が変更になったので一緒に行くことができました。
今思えば、主人が付き添ってくれて本当によかったです。
主人がいなかったら、一人で英語も分からず、病院を紹介されても行けたかどうか分からないし、
何より一人で状況を理解し受け止めることができたかどうか・・・。
蒼空がパパを出張に行かせなかったのかな・・・。

今まで自分勝手で最低なことを考えている自分を認めたくなくて、その気持ちは誰にも言わず、
文章にもせず、ずっと心の中に留めていました。
でも、自分の中にある嫌な部分も認めないと前に進めないような気がして、今日初めて本当の自分の気持ちを文章にしました。
読んでくださった方、ありがとうございました。
【 2007/03/08 00:35 】

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蒼空とお別れするまで?幸せだった日々?
2006年4月 妊娠検査薬陽性

待ち望んだ赤ちゃんが私のお腹にやって来てくれて、初めての妊娠に不安や戸惑いがあるものの、毎日幸せな日々を過ごしていました。
初めての妊娠、しかもアメリカで知らないことだらけでしたが、幸いにも仲の良い2人の友人が出産
していた病院があったので、その病院に通うことに決めました。

7w6d
初めて病院(日本人の先生)でエコーをしてもらい、心拍を確認できて喜び、同時に私の中に
新しい命がいるんだなぁと不思議な気持ちになりました。

病院に行ってから3日後、病院から血液検査の結果の電話があって、黄体ホルモンの数値が
ボーダーだけど、生理痛のような痛みがないか聞かれました。
痛みはなかったのでそう答えましたが、ボーダーの意味がよく分からず不安になりました。

9w2d
少し出血したので不安になって、病院に電話。
黄体ホルモンの膣錠を処方して、郵送で送ってもらいました。

9w4d
やっぱり出血が気になったので、アメリカのクリニックで診てもらいました。
私が通ったクリニックはエコーは週に一度しかしてくれず、その他の曜日は総合病院に行かないと
いけません。
偶然にもその日はエコーをしてくれる日だったので、9週にも関わらずお腹の上からエコーして
くれました。
私はよく分からなかったけど、先生には小さな赤ちゃんが見えて、心拍も正常で、一安心しました。
出血の原因は分からなかったけど、初期にはよくあることだからと言われました。

9w6d
日本人の先生の病院で2回目のエコー。
元気に動く赤ちゃんを見て、感動しました。
手足を動かして、あいさつしているみたいでした。
先生から「へその緒の血管がちゃんと3本あるね。2本だと障害があるんだけどね。」
と言われました。
健康な赤ちゃんなんだ、と思っていました。

10w?12w
少出血はあったりなかったりでしたが、膣錠を続けていました。
でもそれ以外はつわりもほとんどなく、順調でした。

13w?15w
便秘のせいで腹痛に悩まされていました。
妊婦健診は、いつも尿検査とドップラー聴診器で心拍確認のみ。
それだけで順調と言われていました。

16w?18w
相変わらずの便秘と加えて腰痛も始まりました。
なんとなくお腹が張るような感じも・・・。
でも特に問題はなく、コンサートに行ったり、ラスベガスに旅行に行ったりと妊婦生活を楽しんで
いました。

19w?21w
19wに入って初めて「胎動?」と疑わしきものが・・・。
最初はよく分からなかったけど、2日3日経って、やっぱり胎動だ!と分かるようになりました。
初めてお腹に赤ちゃんがいるんだと実感できて、本当に感動しました。
胎動を感じる度に赤ちゃんに話しかけていました。
妊婦友だちとベビー服やグッズを見に行ったり、赤ちゃんのことを話したりして、楽しい日々を
過ごしていました。

ここまでが、蒼空が元気に生まれてくると疑いもせず思っていた、幸せだった日々です。

【 2007/03/03 06:52 】

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